◆カーネギー
カーネギー一家が故国を脱出した1848年は、イギリスでは最悪の年でした。
1847年のパニック、ポテト飢謹、農作物の不作、穀物の輸入自由化が重なりました。
母の妹たちを頼りに彼らがたどり着いたのは、ペンシルベニア州アレゲニーにある移民スラムだったそうです。
故郷で時代の新しい波に乗ることができなかったウィリアムは、アメリカでも新しい環境に適応できず、失意のうちに1955年にまだ50歳の働き盛りで他界しました。
したがって、移住した当初から、一家の生活は紡績工場で週給1ドル20セントで働く14歳のアンドルー少年の双肩に重くのしかかったのです。